生産する側にいた頃の話

  前に書いた記事の続きっぽいもの。

 かなり昔のことだけど、一応「生産する側」にいたころがあった。

 吹奏楽団で、ある管楽器を吹いていたのだ。もちろんアマチュアですが。

 中学高校と吹奏楽部員だったので、高校卒業と同時に部活仲間の子に誘われて、なんとなく入った市民吹奏楽団。なんだかんだで10年近く在籍しました。

 正直言うと、別にそんなに吹奏楽って好きじゃなかったし、楽器を吹くのもそれほど好きではなかった。練習ダルいし、向上心なんてほとんどないし才能なんてカケラもない。だから当然、下手だった。

 このままではいけないという気持ちは常にあった。汚い音で演奏することはほかの団員に迷惑がかかるし、実際怒られたし、何より好きでもないことを続けている意味がわからないままなのはマズい気がした。

 何度も自分に問いかけた。本当に吹奏楽が好きなのか? 答えはノー。じゃあ辞めるのか? それもまたノー。なぜなら「辞めてしまったら居場所が一つ減るから」「周りと比べるとそうでもないけど、楽器を吹くことはそれなりには楽しいから」「人付き合いが減ってしまうから」いろんな言い訳で自分をだまし続けた。

 今振り返ってみると、この言い訳のオンパレードの中に「生産する側に居たいから」というのも加えるべきだったと思う。

 仕事は普通の事務職だったし、何かを生産して食っていけるようなクリエイティブスキルがないことを当時はわかっていたから、せめて趣味の場でくらい、生産していたかったんだよね。

 まあその吹奏楽団も、体調を崩したことをきっかけに辞めてしまった。体調が良くなりつつある今、復帰しようとは到底思えない。

 だってあれってけっこう大変なんですよ。仕事の後や休みの日に重たい楽器抱えて遠い練習場所まで通って練習して、場合によっては練習後に会議があったりして。よほど好きでもない限りやってられないですよ普通は。

 好きでもないくせに続けることができていたかつての私は、ある意味我慢強かったのかもしれない。けれど自分の意思がフワフワした状態で何かを我慢し続けてよい結果は得られない。自分にとっても、周りにとっても。

 この辺までが今の自分にわかっていること。かなあ?